MIHO’S  DADDY’S JORNEY DIARY 古閑美保の四国八十八カ所巡り日記

煩悩 四国八十八ヶ所巡り日記

ばっくなんばぁ

第1話 四国八十八ヶ所巡り

皆様こんにちは。今回から私が敢行した、四国八十八ヶ所巡りをお伝えしたいと思います。
テレビで放映も行われまして、ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、徒然なるままに、お話させて頂きたいと思います。

まず、なぜ、私が四国八十八ヶ所巡り(以下お遍路)をしようと決意したかと申しますと、私はこれまで家族の為、美保を一人前のプロゴルファーに育てる為だけに生きてきました。
美保がプロゴルファーになり自分で稼げるようになり、妹の理沙も結婚し、娘二人が私の手元から巣立って行きました。
そこで、欲張りな私は、次は美保を賞金女王にならせたいと言う思いと、理沙の子供・初孫を授かりたいと思うようになりました。
また、自分自身の挑戦として、約2ヶ月間の歩き遍路をし、自分がどれだけの人間か、自分がどこまでやれるのかを見極め、限界に挑戦して、少しでも精進したいと思ったのがきっかけでした。

そのようなことを思っていたときに、NHKのドキュメンタリー番組で、私の大好きな河島英伍さんがお遍路をし、「酒と涙と男と女」のヒット祈願の為、四国八十八ヶ所を42日間歩き、願いを叶えたと知りました。
このことがきっかけで、自分に出来ることは、家族の為、自分の為に歩いて祈願してみようと決意したのです。
宗教に無頓着に育った私ですが、思い立ったら吉日、2日後には準備をすませ、飛行機と電車を乗り継ぎ、徳島県の一番札所「霊山寺」を目指しました。
初めは、弘法大師空海を尊敬したり、お釈迦様を信じたりと言うことは考えませんでしたが、険しい山道を歩いたり、途方も無く長い道のりを歩き心が折れそうになっているときに、どんなときも弘法大師空海(以下お大師様)と一緒、お大師様が傍にいらっしゃると考えると心安らぐものがありました。
お遍路をする際には金剛杖という杖を頼りに歩きます。その杖には「同行二人」と書いてあります。
先に申しました、「お大師様が傍にいらっしゃる」という考え方が「同行二人」という言葉で、どんなときも同行二人の心持でお遍路をすれば、本当に安心するのです。

人間一人になると、孤独と言う大げさな言葉ではないのですが、自分自身を見つめなおしたり、自分に置かれた業を打ち消す意味でも、本当に歩いて良かったと思っております。
ある偉いお坊さんが、「両親の恩恵は、右肩に父、左肩に母を負ぶって100年歩いても報いることは出来ない」とおっしゃいました。
ただ、その恩恵に報いるためには、両親に仏法を説くことが出来たときこそ本当に報いることが出来るとも、お坊さんは言っておられました。

次週からは発心の道場・徳島県一番札所から二十三番札所までの旅をお送りいたします。

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